しくしくヲタクブログ

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細川組の話をしたい(刀剣乱舞)

刀剣乱舞の細川組(刀)の話をしたい。なぜなら私は細川が好きなので。

 

年齢(?)順に端的に自分的まとめ。

小夜左文字南北朝時代

 仇討ちの刀として有名。父親の形見である小夜左文字を売りに行こうとした母親が途中で盗賊に襲われ、所持していた小夜左文字で殺され、そのまま奪われる。息子は成人後、研師の弟子になるがそこで小夜左文字を持ち込んだ盗賊を発見する。息子は小夜左文字で盗賊を殺し、母親の仇討ちを果たしたとされる。
 その後、山内一豊の手によって細川幽斎の手に渡る……とされているが真偽の程は不明。幽斎→忠興と細川父子に伝わるが、忠興の息子で二代目豊前小倉藩藩主・初代熊本藩藩主の忠利の手によって売り払われる。領民の飢饉を助けるためだったと言われており、ゲーム中の小夜が飢饉の話をするのはこのエピソードのせい。細川家を離れた後は黒田家などに伝わる。現存。

篭手切江(南北朝時代

 はじめは細川幽斎の手に渡ったとされている。その後、稲葉正勝徳川家光老中、春日局の実子)の手に渡り、再び細川家(細川忠利の時代)へ、さらに稲葉正勝の嫡孫が老中になった祝いとして稲葉家に贈られる……と細川家と稲葉家を行き来している。正勝と忠利は親友だったとされている。現存。
 稲葉家もとい稲葉正勝は母が春日局なのだが、その春日局の父親は斎藤利三斎藤利三明智光秀細川忠興の舅)の家臣で、妻は斎藤道三の娘。道三の妻は明智光秀の叔母であり、細川家とは縁戚である。正勝と忠利が親友同士だったのは、少年時代に江戸で同じ時を過ごしたからっぽい。

松井江(南北朝時代

 細川忠興重臣・松井興長の刀。松井興長は忠興、忠利、光尚、綱利の細川4代に仕える。忠興の死去後は忠興の居城・八代城を預かる。これは一国一城令(大名に居城以外の城を放棄するようにとの命令)の例外として認められており(ゲーム中の例外はこれのこと?)、興長は肥後熊本藩の筆頭家老となる。興長は晩年、主君綱利の浪費を諌める書状などを送っており、ゲーム上で松井江が実務が得意というのはこういった話や興長の有能さがピックアップされているからと思われる。
 松井家は興長の死去後も細川家筆頭家老を務め、それは明治維新まで続いた。経緯は不明だが細川家を離れて徳川家に伝わる。嫁入りの引き出物としても用いられる。佐野美術館所持。現存。

歌仙兼定室町時代

 細川忠興所持の刀。名前の由来は忠興隠居後、息子で跡取りの忠利の施政がはかどらないのは家臣のせいとして家臣36人を手打ちにしたことから三十六歌仙三十六人撰という家集に名を連ねる名人36人のことを指す言葉)に由来して歌仙兼定と名付けられたと言われている。具体的な所持経緯は不明。ゲーム上での物騒な性格はまんま忠興といえる。趣味嗜好なども忠興そっくり。

 忠興→立孝→光尚→綱利と代々細川家に伝わるが綱利の時代に家老・柏原家に伝わる。その後は所有者を転々とし、昭和初期に政治家・細川護立の手によって買い戻される。現存。

 

長くなってしまったのでとりあえずここまで。書いてたら途中で細川忠利と稲葉正勝に興味が沸いてきてしまった。。。